最終更新日:2009/5/3
「キヨシローに捧ぐ」@すいかのひとりごと

 2009年5月2日(金曜日) 0時51分、ロック歌手の忌野清志郎が亡くなりました。

 このページは、その訃報に接した時の私(酔嘉の会管理人)の気持ちや、メディアでの私の琴線に触れた「ことば」をまとめたページです。
私の備忘録として、残します。

 そして、キヨシローのことを思い出すたびに書き足していこうと思います・・・。2009/07/12

2009年
5月3日()

 「キヨシローが死んだっていうのに」

キヨシローが死んだっていうのに、

キヨシローがこの世から、いなくなっちまったっていうのに、

キヨシローの唄がもう二度と聴けなくなっちまったっていうのに、

街の雑踏は、昨日と変わりなく、

歩く人たちも、そんなことは無かったかのように、行き来している。

 

ストリートミュージシャンたちは、おかまい無しに自分の唄を唄うだけ。

キヨシローを、RCを、一曲でも唄ってみろよ。昨日のことなんだぜ、まさか忌野清志郎を知らない訳じゃないよな。

 

本屋の「音楽」コーナーも、何の変化も見られず、キヨシローの唄の弾き語り本もほかの本に混ざって棚に並べられたままだ。

 

黄色いレコードショップには、かろうじて、店の隅っこに急ごしらえのテーブルがもうけられ、古ぼけたDVDプレーヤーが昨年の「完全復活祭」の映像を流している。

その映像に目を止める人は、ごくわずかで、若いカップルがそれに見入っている俺と、キヨシローの唄う姿を不思議そうに眺めている。

画面の脇にある「冥福を祈ります」という小さなポップを、30代の男性がひとり、ちらちらとみながらテーブルに雑に並べられたCDを手に取っている。

君もキヨシローのファンだね。そうだよな、昨日死んだばかりだっていうのに、この扱いの小ささは何なんだ。
街が、店がどう扱ってるか、気になるよな、そんな奴がもっといると思って来てみたんだ。

 

キヨシローが死んだんだぜ。

もう新曲が聴けないんだぜ、RCサクセションのナンバーだって今の彼の口からはもう流れてこないんだぜ。

 

これでいいのかよ。日本一のロッカー、いやソウルマン忌野清志郎が亡くなった翌日だってのに。昨日だぜ。

 

街なかは、平然と、その知らせが無かったかのようにゴールデンウィークの一日を演じている。

 

そこに身を投じられない自分がいます。

まだ心の整理がついていません。まだ心がどこかに行ってしまったようで、胸にポッカリ穴があいたままです。

「ポッカリ穴があいた」なんてフレーズ、昔から知っていました。

でも、ほんとに、ポッカリ穴があいた、っていう表現がそのとおりなんて、この歳になるまで感じたことがありませんでした。

 

俺に、もう少し時間をください。

まだ、あなたの死が受け入れられません。

誰かに話せば、もう少し落ち着けるのか、それとも泣き出してしまうのか、わかりません。

 

もう少し、このままでその知らせを受け止めさせてください。

 

2009年5月3日午後6時
廣崎雅之

2009年
5月2日(土)
忌野清志郎 オフィシャルサイト「地味変」に掲載された『訃報』
忌野清志郎訃報@地味変
2009年
5月3日()

・各サイトへの書き込み

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忌野清志郎亡くなる。 投稿者:管理人@酔嘉の会 - 2009/05/03(Sun) 00:22:04 No.1850       引用する 

私の敬愛しているロック歌手、忌野清志郎が5月2日 午前0時51分亡くなったそうです。
58歳。
癌性リンパ管症。

まだ受け止められません。

Re: 忌野清志郎亡くなる。 投稿者:管理人@酔嘉の会 - 2009/05/03(Sun) 00:27:20 No.1851       引用する 

サイトで見つけた↓の言葉が、まさにそうです。

「いやだ」

---------hirosaki - 2009/05/03(Sun) 02:54

ビール何本飲んでも酔えん。

泣こうごたる・・・

Re: 忌野清志郎亡くなる。 投稿者:管理人@酔嘉の会 - 2009/05/03(Sun) 04:13:26 No.1852       引用する 

ビール何本飲んでも酔いが廻りません。

ずっとCD聞いてます。
(DVDじゃないのは、画像見ると思いがあふれそうで・・・)

Re: 忌野清志郎亡くなる。 投稿者:管理人@酔嘉の会 - 2009/05/03(Sun) 04:36

外が白んじて来た。泣くのは明日にしよう。「さあ、笑ってごらん、ハッハッハッハッハー」って清志郎が唄ってる。
2009年
5月5日(木)

清志郎追悼 投稿者:管理人@酔嘉の会 - 2009/05/05(Tue) 00:37:57 No.1853  引用する 

今日(5/4)で、ようやく、世の中についていけそうになりました。

夜は古い友人と忌野清志郎のライヴ映像を観ながら、だらだらと。

新しい曲はもう聞けないけど、この映像がある限り、歌声とその唄心はずっと残ってくれるような気がして、落ち着きました。

キヨシローの唄声に後押しされて、日付が変わって、私の新しい一年も始まります。


2009年
5月9日()

いってきます。 投稿者:管理人@酔嘉の会 - 2009/05/09(Sat) 11:27:28 No.1858  引用する 

これから、東京青山で行われる「忌野清志郎の告別式」にいってきます。

Re: いってきます。 投稿者:管理人@酔嘉の会 - 2009/05/10(Sun) 20:29:36 No.1859  引用する 

12時頃、列の最後尾について、ちょうど始まった「葬儀式」の音をBGMに青山墓地のなかを待っていました。

こんなにぎやかな趣向の「式」だとは思っていなかったので、大音量にたまげながら暑い日差しの照らされていました。

一般客の献花は13時からの予定でしたが、始まったのは14時すぎのようでした。

私が、祭壇に紅いバラを献えて、最後のお礼をキヨシローにいえたのは16時過ぎでした。

そのあとは、友人と弔い酒。亡くなった日はどんなに飲んでも酔いが廻らなかったのに、この日は酔いました...。

 

hirosaki | 自分のコメントを削除する
2009年05月09日 11:33

今から青山行って来ます。

hirosaki | 自分のコメントを削除する
2009年05月09日 23:21

12時に列に並んで、祭壇いご挨拶できたのは16時でした。
「ありがとう、キヨシロー」

2009年
5月9日()
献花したのは深紅のバラ

 献花したのは深紅のバラ、祭壇に行く手前で斎場の女性が一本ずつバラの花をお渡してくれるんだ。赤、オレンジ、黄色、ピンクなどいろいろあったがどうしても深紅のバラを捧げたかった。
もらう直前におばちゃんたちが横は入りしてくれたおかげで、念願の深紅のバラを手にして祭壇に進んだ。

 遺影の真正面で清志郎に挨拶をしたかったので、前の一人が終わるのを待っていた。
祭壇にすすんだ。右となりには一緒に行った友人が先に頭を下げている。
遺影に向かって一礼した。ガラスの献花台の向こうには大きな遺影と戒名をかいた塔婆、そして塔婆の後ろには隠すように骨壺をつつむ金襴張箱があった。
ああ、もうお骨になってしまったんだ、清志郎の肉体はもうこの世に無いんだと思うとこみ上げるものがあった.
祭壇の前にはドラムや自転車、こたつがあった。一番端にはあのフェンダーのエスクワイヤが飾ってある。フロントピックアップを追加した奴だ。こんなところで実物にお目にかかれるとは・・・.
しかもこんなにすぐに。

 両手を合せて目をつむる。「清志郎ありがとう、これからもずっと唄っていきます」メッセージカードにかいたことをもう一度繰り返す。来てない奴らもあなたにお礼を言ってますともくわえた。

 おもわず左のほほを涙がながれた。つづいて右のほほを。
まるでよくできたTVドラマのようだ。
嗚咽が漏れそうになったが、それをなんとかこらえ、目をあけてもう一度清志郎の遺影をみた。
祭壇の右隅にいた三宅真治には俺の涙が見えたかもしれない。

 斎場の案内人に、せかされるように祭壇を離れた。ふしぎに俺の右側には誰もいなかった。

 斎場を出て、しばらくして友人が不思議そうに言った。
「先に祭壇をはなれて、待っとったけど、不思議なことにあんたがお参りしよう間、だれもあんたの右側に行かなかった。だから誰もいなかったんだ」と。おれは笑って「俺のオーラが出とったかねえ」といったが、本当は嬉しかった。

 並べば、10人はお参りができるスペースはあったのに・・・。

 

2009年
5月24日()

・既製服を着こなす

ほぼ日刊イトイ新聞 2009/5/24(日)
糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの「今日のダーリン」より転載


・既製服を、仕立てられたもののように着こなす。
 そういうことが、ことばの世界でもあります。
 たとえば、「おまえが好きさ」というのも、
 「愛しあってるかい」というのも、
 どこにでも転がっている安価な既製服です。
 そして、それを、ほんとうに見事に着こなすと、
 なんだかとても素晴らしいものになります。
 
 ありふれたものを、
 素晴らしいものにまで輝かせるためには、
 安っぽい既製服であることを、わかっていて、
 そのことを隠さずに着こなすことが大事です。
 その安い既製服をメディアにして、
 そのうえに、じぶんだけのたましいを乗せるのです。
 どんな服でも、おれが着たら、おれの服なんですね。
 
 若い人というのは、そうやって、
 じぶんを伝えるんだと思うのです。
 それをロックと言うのかもしれないです。
 道端に落ちているものに、じぶんのなにかを乗せて、
 「なんだかすっごいもの」に変えちゃうなんて、
 誰にでもできるはずで、なかなかできることでもない。
 道に落ちている石ころが、心臓に当たれば、
 人が倒れてしまうくらいの力になります。
 
 忌野清志郎という無口な人が、
 「ありふれたことば」に乗せた、
 豊かで若々しいたましいは、
 ぼくにもずいぶんたくさん当たって、
 ぼくは何度も倒れました。

 やっと、好きだった歌を聴いたり、
 歌詞を思い出してみたり、友人と語ったりが、
 できるようになりました。
 しかしなぁ、誰かが「いなくなる」なんて思って、
 ぼくらは生きてないものなぁ。
 ひとりのファンとして、この先も、
 キヨシローくんのいいところを発見し続けたいです。
 音楽は、生きているまま、ぜんぶ残ってますから。

日曜です。今日も来てもらえて、うれしいです
2009年
5月31日()

・バンドマンという「職業」があります

ほぼ日刊イトイ新聞 2009/5/31(日)
糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの 「今日のダーリン」より転載


・バンドマンという「職業」があります。
 正式に職業欄に書くようなものではないでしょうが、
 あることはわかっています。
 その最高位に君臨するのが、
 「ローリングストーンズ」だろうと思います。
 楽曲をつくったり、それを演奏したりして生活してます。
 どういう生活をしているのか、よくは知りませんが、
 いかにも若い人にうらやまれそうな暮らしに思えます。

 ぼくも、実際には無理だと知っていましたし、
 本気でなろうともしなかったのですが、
 「バンドマンになりてぇなぁ」とは思いました。
 バンドマンという職業は、生き方でもあるわけで、
 自由で、危なっかしくて、陽気で、キツイ‥‥らしい。
 大儲けをしたり、むちゃくちゃにモテたり、
 社会の規範から逸脱したり、社会に排除されたり、
 友情やら裏切りやらを濃いめに味わったり、
 なんだかとにかく人生を面白く生きている‥‥らしい。
 
 ビートルズの疑似ドキュメンタリー映画だったり、
 ローリングストーンズのツアーを追った映画だったり、
 セックスピストルズを撮った映画だったり、
 バンドマンの「生き方」をのぞき見る機会は、
 ずいぶんいっぱいあります。
 
 バンドマンとして生きていきたいなぁと、
 本気で思った人が、
 ほんとうにバンドマンになるのかもしれません。
 「RCサクセション」というバンドは、
 バンドマンという「生き方」を
 いちばん多く歌ったバンドかもしれません。
 実際にバンドマンになってからも、
 このバンドは、バンドマンに憧れていたように思えます。
 
 ちょっとだけバンドマンになりたいと考えた、
 ぼくのようなハンパな人間は、
 「RCサクセション」を見たり聞いたりしながら、
 バンドマンという「夢の生き方」を、
 疑似体験していたんでしょうね。
 それは、60歳になっても、できることなんです。
 おかしなもんでしょう?

日曜日に、なにか日曜日らしいことをしますか?
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうっ。

 


 

 

2009年
6月29日()

「おもい(想い)」(眠りにつく前に、ふと思いついたことば)

Date: 2009年6月30日 1:02:10:JST
Subject: おもい

いつまでたっても清志郎のことが頭から離れないので、頭から離さないことにしました。
いまでも、RC以外のCDはかけられませんし、買えません。

清志郎の唄が歌いたくて、エレキギターも買いました。もちろんうまく弾けません。
でもいいんです。唄うと、いつもそこに清志郎がいるような気がします。へたくそなギターだなぁって、苦笑いしながら見てくれてます。きっと。

ヒロサキ

2009年
 月 日( )

 

2009年
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