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米軍基地から博多ハコバン時代、そして伝説のロックバンド

『サンハウス』、その謎の人生まで! 

日本ロック史上最強・最古のボーカリスト、

キングスネーク”菊”登場!

あのサンハウスの

”菊”、

失われた伝説を語る!

 

高校ん時にもう、米軍基地まわりしとったけんね

 ベトナム戦争の頃やね、SONHOUSEの前に”キース”ちゅうバンドを組みよってさ、まだ俺は高校生やったけど。そのバンドで、九州やら沖縄の米軍基地まわりよった。
 ほら、博多なんかのダンスホールやディスコのステージあがろうにも、高校生じゃいくらなんでも店が雇うてくれんけん。けど、基地ん中じや日本の警察も学校も関係なかろ?
 ジミヘン、ジェフアーソン・エアプレイン、ドアーズとか、アニマルズ…‥・そんなんばっか演奏しとった。ビートルズやら、ストーンズ?殆ど歌ったことない。SONHOUSEでのストーンズからの影響は、マコちゃん(G/作曲担当・鮎川誠)やろね。
 基地の演奏はキツいけどおもろかったよ。
 40分間ステージやって20分休憩、そんでまたステージ。一晩で6ステージやりよったからね。ほんで体紬蒔間にジュークボックスんとこ行って、当時の最新曲をコピーすんのよ、友達になった兵隊にヒアリングしてもらって。
 正しいかどうかは知らん、アイツらも頭弱そうやけん。まぁ、だけん俺ら、”音”に関しちゃもの凄く早かったよ。一週間でアメリカの最新ヒット曲、10曲位覚えたりしとった。
 そんで、おんなじ曲を福岡のダンスホールでやると全然ウケん。当たり前やね、日本人、聴いたこともない曲をやりよったもん。でも別に俺ら、人気者になろうなんて思ってなかつたっちゃ、おかまいなしにやりよった。
 金は、基地時代は稼いどったねえ。まだ1ドル=360円の頃やけ、3日も演奏やりゃ、4〜5万貰っとった。そん頃、キャバレーのハコパンやっても1カ月で1万円ちょっとにしかならんかったから今思えば、凝いギャラやったよねえ、高校生の分際で。
 ま、基地は思い出深いよ。俺らの演奏聴いてくれよったのは殆ど黒人の兵隊でね、若い、当時の俺とかわらん18歳そこそこ。そういう連中が、ベトナムでいっぱい死によったな。

あの時代のダンスホールは恐い所よ

俺は中学生ん頃から入りぴとったけど

 中学出たらヤクザもんなろう思って、13歳位で組に出入りしとったんやけど、ヤクザ、女にモテんやろ? ほんでバンド始めて、マジメになったんよ。基地まわって、ディスコ、ダンスホール…・‥あの時代のああゆうとこはねぇ、もうワルいっちゅうか、いまの言葉じゃ言えんちゃ、もう。クスリもケンカもオンナもなんでもアリよ。ハコバンの奴らなんか、金魚すくいの金魚いれるビニ−ル袋、あれをギターやベースのネックにぶらさげてさ、そん中にシンナーいれて、吸いながら演奏よ。それでかわいい方やった。そん頃、まだGS(グループサウンズ)があって、東京のナベプロから誘いがきよったけど、断った。曲もバンドの名前も衣装も全部、先に出来上がっとるんよ。そんなん、やるわけなかろ。もし、あん時、ナベプロ入っとったら・…とっくにロックなんか辞めとったろうね。今頃はタレントのマネージャーでもなっとったかもな。

責任とれん事は歌わんけん。暴力を歌う時は

俺が主犯、ラブソングはヤリたいから

 SONHOUSEはオンナのこと、セックスのこと、犯罪やらクスリ、そんなことばっか歌にしよったね。最初のレコード(「地獄ヘドライブ」/75年1月発売)は、放送できんて言われた。あん頃の暴走族があの曲ガンガン鳴らして、そこらを走りまわっとったよ。
 セックスのこと、オンナのこと歌うのは俺が男やから、ヤリたいからやろ。今日やって、電車乗ってここ来るまでに、凄いかわいいネエちゃんがおったんよ。俺、「もしこいつ、うまいこと引っかけられたら、今日の取材すっとばしたろ」って思いよったもん(笑)。
 ヒット曲なんか一曲もなかったバンドよ、SONHOUSEは。でも、あの頃、九州だけで一回4〜5千人は動員しとったけん。
 解散は俺とマコちゃんのふたりだけで決めた。理由? やってて面白くなくなったから。それだけ。ただ、もう音楽やめようかなぁとまで思いよったけどね、あん時は‥・・・・。
 バンドやめたら、ソロデビューの話が10個位きよった。「阿久悠・作詞/筒美恭平・作曲で一発やりましょう」とか、原田真二が人気あったから、整形をアフロにしてくれとか、くだらん誘いが。そういうの全部断ってからは、注文がくるままに作詞の仕事やっとったけど、なんか、家ん中に聴きたくないレコードぱっかり増えていくのが嫌になってさ。
 俺が他人っていうか、歌謡曲系に詞書いて満足いった出来になったのはアン・ルイスくらいやね。あの娘は自分で俺に、「詞を作ってくれ」って来たけん。事務所とかは俺の作詞には大反対しよっちゃみたいやけどな。ナベプロやったけん、アンは。
 だから、新しいバンド<Ruby>結成して、<ブルースライオン>とかでブルースもやるようになったのは、やっぱ自分の詞をまた、自分でやろうと思いよったからやね。
 でもこの前、20年ぶりにSONHOUSE、博多で再結成してやって、自分が一番ショックやった。なんて、あん頃はなんてストレー トで凄い詞を書いてたんやろって。もう、俺はあんな詞は書けんやろか、20年間、俺は何しとったんやろかって。けど、そやからこそ、まだロック、続けとるんやろうけどな。 ■

記事名「危険なVIP御用達5ツ星HOTEL/支配人:藤井良樹 HOTEL OUTSIDERS」

update 2000/09/24